拾った言葉 2008/01/13
モーニング2008・01・24号のチェザーレから。
そもそも冒険とは達成を前提としそのために万全の策を練ったものであって、その対策を意識しないというのはそれはもう冒険でなく無謀というものですよ
アンジェロからチェザーレへの言葉です。君主にとって大事な考え方というよりは君主に誠実な人間がどのように考えるのかということを表しているように取れました。軍師や参謀、ソフトウェアアーキテクト向けの言葉かもしれません。
爆笑問題のニッポンの教養 新年会スペシャルから。
納得したものを人は受け入れる。効率を一ヶ月で考えるか、一年で考えるか、百年で考えるか。どこまでイマンジネーションを時間の軸に広げられるか。
「生物と無生物のあいだ」の著者、福岡伸一氏の言葉です。自分のやっていることに迷いが生じたときにニヒリズムや他人から与えられたイデオロギーやすでに存在する価値観にその理由を求めるだけでなく、違う時間軸との因果関係にも自分が納得できる理由が存在しうる気がします。
- [2008/01/13 11:31]
- 思いつき |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
ワインバーグの文章読本
Gerald M. Weinberg ジェラルド・M・ワインバーグ G.M.ワインバーグ

「プログラミングの心理学」や「ライト、ついてますか」などで有名なワインバーグ氏が自分の執筆方法について書かれた本です。ただ私は文章を書く方法というよりも執筆活動を続けるための定石集として読むのが良いように思えました。
しかし、これらの読書の構造は、言葉を形にあらわすう創作プロセスの構造とはほとんど無関係である。これらの読書の構造は、創作の手法ではなくプレゼンテーションの手法である。
小説には小説の表現方法があり、実用本には実用本の表現方法があります。しかしそれらはその文章をどう表現するかというものであり、文章を書くためにはどのようなプロセスが有効かということではありません。プロセスという形で一般化することは一つの文章を書くために行うことではなく、繰り返し使うことを意味しています。
ページの大半を材料としての石の収集から構成へとに費やされています。特に石の収集についてはその目的は文章を書くために集めるのですが、書こうとしている文章のために集めるのではないという点が印象的でした。
石の収集、選択、構成を別のプロセスとして認識することでそれぞれのプロセスに適した手法を用いること、まさにプロジェクトを進行させるときと同じ考えを執筆活動に適用させているあたりはさすがです。細かな点においてもアウトラインプロセッサやマインドマップなどのツールを唯一無二のツールとして捉えていない点も好印象でした。
ワインバーグ氏の著書の内容について肯定する人も否定する人もいるかと思います。ですが、ワインバーグ氏が長い間にわたって執筆活動を続けてこられたという事実は変わりません。そして続けるために行ってきたことの中にはワインバーグ氏にとってのみ有効だったものだけではないと私は確信しています。
- [2007/12/25 00:40]
- Book |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
ガンダムUC ユニコーンの日
福井 晴敏

機動戦士ガンダムUC 2 ユニコーンの日(下) (角川コミックス・エース 189-2)
福井 晴敏

Twelve YO、亡国のイージスをとても面白く読んでしまい、ガンダムの洗礼をかつて受けた人間としては買わざるを得ない本でした。(笑)
TwelveYOや亡国のイージスを読んだ感想から、福井晴敏という作家は緊迫したシーンと緊迫からの解放後の表現が私の好みに合っていたんだと思っています。カタルシスの表現がうまいということはそれだけでも娯楽性の評価を上げてよいのかもしれません。その意味で上巻はとても辛く感じました。今回の作品の構成からすれば仕方が無いのかもしれません。その中でも
若者の血気は認めよう。直感を信じるのもいい。しかし知識と実力がついてこないのでは、対処を間違える。帰りなさい。この件には関わらないことだ。
のような台詞は好きです。うまくいってもいかなくても自分が正しいと思っていることを実行することで学べることが一般的にはあることを認めつつ、今回の件においては間違えば修復不可能であることを伝えています。下巻においても
ニュータイプという言葉は撃墜王と同義になって、今では戦記物の映画や小説でしか語られない。
というくだりがあります。私たちの実際の社会においてもキーワードの本来の意味を理解し共有しようとせず、共有しやすい意味においてのみ使用されるようなケースが多く見られます。またガンダムシリーズにおいても製作側に対してニュータイプへの解釈を避けてきたことに対する皮肉ととらえる事もできなくはありません。福井晴敏氏がどのようなつもりなのかは続きを読ませてもらうしかありませんが。
下巻の最後に仮面の男の挿絵が入っています。よくよく考えてみれば軍隊において常時仮面をつけているようなことはセキュリティ面から見て現実的にありえる話ではないと思います。フィクションであるが故に許される設定であることは承知していますが、仮面をつけていてもその人であることを周りが確信せざるを得ないほどの存在感を持つキャラとして描いて欲しいと思います。
- [2007/12/09 23:50]
- Book |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
僕、トーキョーの味方です
マイケル プロンコ Michael Pronko 矢羽野 薫

この本は東京に住むアメリカ人大学教授が書いたエッセーです。文学を芸術として楽しむ素養の少ない私はエッセーはあまり読まないのですが、それでも価値観の違いを認識することやそこから発生する気づきには興味があります。
自動販売機にお金を入れ、希望の飲み物のボタンを押し、頭を下げて商品を取るという一連の流れがお賽銭をいれ、ガラガラと鈴を鳴らし、頭を下げてお祈りをするのに似ているとか、明らかにガラの悪そうな人でさえ、ほとんど儀礼的な意味しか見出せないにもかかわらず会計の際に受け皿があればそこにお金を置きます。
案外、人が何かに興味を持つきっかけというのはこんなところからくるのかもしれません。物事を複数の視点から見ろとよく言われますが、意味のある視点を見つけるまでに試される多くの無意味な視点は新たな興味への入り口だと考えるのは悪いことではないでしょう。
途中、他の国との違いをもとに記述されている章があるのですが、そこはあまり面白いとは思えませんでした。自動販売機や看板などは前提条件を明記することなく著者と共有することができるのですが、他の国との比較となるとそうはいかないからかもしれません。
僕のエッセーが誰かの東京観を変えるとは思わないが、身近にあるけれど見過ごしがちなものを新鮮に感じてほしい。皆さんにも僕といっしょに、「ふつう」のなかに「ふつうではない」素晴らしさを見つけてほしい。
「ふつうなこと」や「あたりまえのこと」を共有することはコミュニケーションを効率化しますが、あえて解釈を発見することは思っている以上に刺激的なことに思えます。
- [2007/11/25 23:36]
- Book |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
ドキュメントの役割
ソフトウェア開発において断定しにくい問題としてドキュメントをどうするかということがあります。ドキュメントに関してはおおよそソフトウェア開発を仕事としている人すべてが何らかの形で考えざるを得ない問題です。
日経ソフトウェアに「俊敏な開発のためのプログラミング 悪徳の栄え」というYugui(園田裕貴)さんが書かれているコラムがあります。普段、断定しにくいことに関して一旦断定することによって問題をはっきり見えるようにしようという趣旨のコラムだと個人的には解釈しています。第5回のコラムには以下のように書かれていました。
プログラムの仕様書はテスト・コードとして書くべきです。そうすればより精密に記述できますし、いつでも自動化されたテストによって検証可能になるからです。仕様書を自然言語で書いたとしても、それは「自動実行できないテスト・コード」かそれ以下のものでしかありません。逆にテスト・コードは、その期待に応えられる程度に厳密であるべきなのです。
通常、ソフトウェア開発時に発生する要件には機能要件と非機能要件があります。上記の文で言われているのは機能要件の範疇であることが前提となっています。ただし、任意のソフトウェア開発プロジェクトを対象とした場合、前提条件としてはまだ不十分です。機能要件の中にもテストコードとして表現できるものと出来ないものがあります。特にハードウェアに近いソフトウェア開発においてはその割合は増加します。「指定のポートから1kHzの方形波を出力すること」というごく簡単な機能要件ですらテストコードが書けない場合は普通に経験することができます。
また、以下のようなことも書かれていました。
ソフトウェア開発において真に必要とされる成果物はただ一つ。ソフトウェアそのものです。他の事に時間を費やすのは悪です。
ここでいう「ソフトウェアそのもの」というのが正しく動作するソフトウェアであるということは自明でしょう。そして正しく動作するソフトウェアというのはテストコード等によって検証されたソフトウェアということになります。厳密に表現されたテストコードが自然言語で書かれたドキュメントよりも有効であることは私も全く同意です。しかし、テストコードで書けない機能要件の割合が増えるほどソフトウェアが正しく動作することを検証するためには必要なドキュメントは増えてきます。
ソフトウェア開発におけるドキュメントはソフトウェアが正しく動作することを検証できるために書かれるものと、ソフトウェアがどのようにな構造になっているかを他の人間に理解してもらうためのものに少なくとも役割レベルで分けて扱われるべきです。テストコードもドキュメントも手間という面から見れば同様に必要悪です。関わるプロジェクトにおいてトータルの手間をどれだけ減らせるかという問題意識を持つことが重要だと思います。
- [2007/11/03 23:21]
- ソフト開発 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
心はプログラムできるか
有田 隆也

この本はコンピュータに心を持たせて友情とか恋愛に関わらせることができるかどうかといった内容ではありません。心が行動に影響を与えることを仮に心の機能と呼ぶとした場合、心の機能は何に対してプラスに働くのか、集団にどのような作用をもたらすのかといったアプローチや単細胞生物から人間に進化していく中で行動を起こす決定要因が生み出される構造の違いから心を捉えてみるといったことが書かれている本です。
人工知能と人工生命の対比があります。従来の人工知能はロジカルな意味でif thenの集合として表され、入力に対して出力が人間にとって妥当であることが求められます。妥当でなくても良いならそれはいわゆる人口無能ですね。それに対して人工生命はそれ自身が持つアルゴリズムだけでは有益なものが得られないが特定の環境を与えることによってなんらかの益を得る可能性を持っているものと捉えることができます。単純なルールによって行動しているように見える蟻が任意の障害物のある環境においても餌場に対して次第に群れ全体が短い距離を通るようになるというようなことです。もともと環境の変化や違いに対応できる人工知能アルゴリズムの存在を疑っていた私には環境というキーワードで関連づけられていたため面白く感じられました。
なるほどと思わせてくれたのが生命における階層的な協調関係でした。遺伝子がその人の人生を決めるなどということを聞いたことがありますが、私にはどうにも嘘くさく感じじられていました。細胞は周りの細胞群という環境からのインプットによって内在する機能を通してアウトプットを行います。この構造は心臓や肝臓、肺など身体器官でも同じです。人間についても環境からのインプットによって個人のアウトプットが行われます。個体の持つ機能に環境からのインプットによってアウトプットが発生するという構造は遺伝子のレベルから国家のレベルまで同じと考えることが出来ます。この一般性はかなり強力です。
ソフトウェア開発に携わる人間として興味深く読ませてもらったのは、ダーウィン型、スキナー型、ポパー型、そしてこの本でプレマック型と言われる生物の行動決定モデルの違いによる分類でした。これらの型をオブジェクト指向でいうクラスとして考えるとまずダーウィン型の生物は行動決定が全くランダムです。ダーウィン型を継承し結果をフィードバックできる機能が追加され、行動決定メソッドがフィードバック結果を参照できるようにオーバーライドされたものがスキナー型と考えることが出来ます。また、ダーウィン型を継承しつつ、自分自身をインスタンスとしてメンバーに持つことによってシミュレーションを可能とし、その結果が行動決定メソッドのアウトプットに影響を与えるような生物がポパー型です。スキナー型とポパー型を多重継承し、メンバーとしてもつインスタンスを自分だけでなく他人も持てるようにしたものがプレマック型です。
プレマック型生物の構造を人間に当てはめてみると、例えば自分の目の前に座ってじっとこっちを向いてニヤニヤしている人が自分の家族である場合と全くの他人の場合、たいていの人は他人の時の方が不安を感じる度合いが高くなります。これは自分の中で行われるシミュレーションがよりダーウィン型に近いからと考えることが出来ます。コンピュータでコミュニケーションにおける不安をベースにしたシミュレーションモデルを考える際に考慮に値する考え方だと思います。
生物の身体的特性をそのままシミュレートするのではなく、意味のレベルへ抽象化することによって他への応用が可能になるという形のアプローチはNP完全問題はもちろん、現在未解明な問題に対してよりよい結果を得るための手段として有効なのではないでしょうか。
- [2007/10/15 00:27]
- Book |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
論理による感情の抑制効果
論理的な思考に集中しているときには感情的な行動は抑制され、感情的になっているときには論理的な思考は抑制されます。改めて考えてみれば強烈な感情を論理を志向することで押さえつけるというバルカン星人の設定というのは良くできてますね。
生存本能のようなプリミティブな感情を除くと、出来事が価値観を通ることによって生じる感情が(何もしないという決定も含めて)行動に影響を与えるという考えは理解できます。そしてこの行動を起こす際に想定される出来事がさらに自分の価値観を通したときに負の感情が芽生えると葛藤が発生します。
解消の見込みの無い葛藤が長期にわたってそのまま存在し続けることが精神的にあまりよくない影響を与えるであろうことは素人の私にも想像するに難しくありません。先送りするか解消するしかないわけですが解消の場合、先の構造に照らし合わせると負の感情が発生しない別の行動の選択肢を見つけるか、価値観を見直すことになります。
社会的な制約を受けやすいため適切な行動を見つけるよりは価値観を見直すほうがはるかに自由度は高いです。このため論理療法が有効であるとも考えられるのですが、論理療法はどうしても予防、リハビリ、カウンセリングと敷居が高いものに私には思えてしまいます。感情が高ぶってきてちょっとやばいなと思ったときに私は「〜だ。なぜなら〜だから。そうでない場合は〜」という文を3つとも同じ主語で作ったりします。文をうまく作れても作れなくても意外と感情を抑えてくれます。私だけかも知れませんが。
自己変革の心理学―論理療法入門 (講談社現代新書)
伊藤 順康

論理療法
- [2007/09/27 23:32]
- 思いつき |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
たいようのマキバオー
つの丸

連載中多くの人に読み飛ばされながらもアニメ化され、府中競馬場でぬいぐるみを買えるまでになった「みどりのマキバオー」の続編です。
無垢な性格のマキバオーに、ジャングル大帝並みの人と動物との垣根の無さ、そして真っ裸の観客(笑)。ちゃんと前作から引き継ぐとこは引き継いでいます。相変わらずきれいな絵ではないんですがいい具合に話が作られています。前作と直接関係のあるのは
山本管助ですが、有馬記念で鼻水たらして泣いていた管助もいまや一流ジョッキーとして認められつつ、自分が気づけなかった部分を素直に受け入れられる人間としてきれいに成長させています。
10年経ち、中央から地方へと時と場所が変わり、泣き虫から意地っ張りへ移り、たかが未勝利戦での勝利なんだけれどもミドリマキバオーが大好きだった人なら読んでよかったと思えるヒノデマキバオーのお話です。是非是非。
- [2007/09/11 00:27]
- Book |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2007年8月31日 朝まで生テレビ 雑感
思っていたより聞けました。出演メンバーが私にとって聞きやすい人がそろっていたのでしょうね。
枝野議員はこの人がいなければ私はいまだに議員の話なんて聞く価値がないと考えていたかもしれません。片山議員はどうしても人間的にまだ信頼できないのですがそれでもいわゆる小泉チルドレン世代の議員の中でも別格でしょう。この人を優秀でないという人はいないと思います。高木議員は討論番組における公明党の数少ない防波堤の一人だと思います。もう少しがんばってほしいですが。江田議員は今回一番注目をかっさらっていきましたね。この人も本当に優秀だと思います。ただ、これは片山議員にも同じことを感じるのですが「だからぁ」というときに臭う官僚臭だけは気をつけて欲しいものです。森本さんは今回はちょっと弱かったですね。
以前に見たドラマの中でこんな台詞がありました。
公開討論のレベルをあげよう。それを私たち政府の遺産としよう
そのシーンを見て本気で泣きそうになったのを覚えています。議員をはじめ有識者の方には本当にレベルの高い議論を期待します。私たちは行われている議論がちゃんと高いレベルが維持されていることを意識できるよう努めていきたいものです。
- [2007/09/01 17:40]
- 思いつき |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
ラストイニング
神尾 龍 中原 裕

野球マンガは巨人の星、キャプテン、第三野球部、タッチ、ドカベンなど今までにもたくさんありましたがここ何年か個人的におもしろいと思えたものがほとんど記憶にありませんでしたが、大きく振りかぶってとこのラストイニングはとても面白く読めました。この2作とも共通してキャッチャーへのウェイトが以前のマンガよりも重くなっているのが興味深いところです。
この2作とも野球の中については甲乙つけがたいほどおもしろいです。あえて差をつけるとしたら野球の外、つまりマンガの中での表現に通常の生活への一般性がどれくらい含まれているのかという点かもしれません。
ラストイニングの12巻にこんな台詞がありました。
信頼はしているが信用はしていない。
私が社会人になって仕事にも慣れ、少しずつ仕事への不満もわかってきたくらいの頃、これと全く逆のことを考えていました。つまり「信用はしているが信頼はしていない」です。これは上司に対するもので、この上司はちゃんとやってくれるだろう、けれどもこの上司でなければならないことはない、異動したり転職したりしてもやはり信用できる上司には会えるだろうと思っていました。そしてこの逆のパターンについては考えてもいませんでした。
ラストイニングでこの台詞を読んで、必ずちゃんとやってくれるとは思っていないが、他に代わりはいない、うまくいかなかったケースも含めて対応するのが自分の役割、という野球部の監督の考えになるほど立場の違いかぁ、と気が付かせてもらいました。
実はまだ14巻を読んでいないので早速買ってこようと思ってます。
- [2007/08/21 00:41]
- Book |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲








