裁判員制度が実施される前に
最近は忙しくてテレビはほとんど見ることができなのですが、それでも聞こえてくる話題に裁判員制度があります。
拘束時間や判決、守秘義務などによるプレッシャーに見合うだけの意味が私たちの社会にとって重要であるということがまだ実感できていません。
そこで再審要求というキーワードを聞いて思いついたのですが、まずはこの再審要求の審議に一般の人を参加させるというのがよいのではないでしょうか。
再審を認めるかどうかであれば、判決や守秘義務から来るプレッシャーははるかに小さなものになりますし、審議に必要な材料が裁判というリアルタイム性の高いものから低いものになるため、予想外に長い時間を拘束される可能性も格段に小さくなるはずです。
法律に全くの素人の思いつきですが、これであれば一般の人に対する抵抗感は少なくなりますし、現状の裁判に対する意見を発する場としての機能も持ちうると思います。
- [2008/04/19 12:05]
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連射王
川上 稔

連射王 (下)
川上 稔

油断していました。ジャンルに関わらず面白い小説はあるのだということを忘れていました。小説をより楽しむための大切な要素として追体験があるとすれば、読む側に追体験可能なバックボーンが必要となります。この本で言えば1990年代、スーパーファミコン後期からPlayStationにかけての時期にアーケードゲームをやりこみ、ゲームをクリアするということが家庭用ゲーム機とアーケードでは違うのだということを経験した人でしょうか。
主人公に対する共感という面からではさすがにニッチすぎるということと、せっかく映画ライターズロードマップ(以下、WR)を読んだので、WRでいうプロットライングラフに当てはめてみようと思います。
主人公の高村はゲーセンで竹さんのプレイを見ることで意識せざるを得ない敵対者の存在を認識します。上巻では敵対者を知っていく過程が書かれています。ゲームをやっていて最も楽しい時期になります。そして上巻の最後ではWRでいう中間部のカタストロフィを迎えます。読者に最も強く追体験させて上巻は終わります。上巻を読み終えたとき私は電車の中で今どこの駅かを確認しなければなりませんでした。(笑)
下巻ではプロットライングラフの曲線に従って下降していきます。そしてWRでいう野獣の腹、竹さんの挑戦を期にプロットライングラフの曲線はあがりクライマックスへ向かいます。WRで書かれている友人や心的葛藤なども合間に盛り込まれています。よくできているものだなと感心しました。
クラブ活動や恋など確実に自分の中に存在することを認めながらもその相対的な位置を試行錯誤する高校生という時期において、自分の中に存在を認めざるを得なくなったゲームを通してその位置関係を認識していくことがちゃんと書かれているため、単にマニアックな作品でなかったのがとてもよかったと思います。
この作品の表現装置として小説は、ゲームというビジュアルに非常に関わりの深い題材であるにも関わらず、いや、そうであるが故に最も適してたのかもしれません。
- [2008/03/29 20:36]
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映画ライターズロードマップ
ウェンデル ウェルマン Wendell Wellman 吉田 俊太郎

プロとして継続的に結果を出していくためには再利用可能な技術が必要です。しかし作品と言われるものを作る人は既にあるものと違うものを作り出さなければならないという条件があります。映画の脚本もその一つです。この手の技術はなかなか言葉で表現しにくいものですがこの本はそれを言葉で伝えようと試みている本です。
この本の主題はプロット(粗筋、枠組み)の構築です。前半ではプロットを静的に構成する主人公、敵対者、葛藤、主張、そしてそれらを際立たせるメタファーや友人について書かれています。後半では動的、つまり話の流れについて書かれています。流れには転換点があり、その転換点における静的な構成要素の役割を示しているというのがこの本の面白いところです。
邪道としての価値を求めた作品で無い場合、話の流れは王道としてのパターンに添うことになります。王道としてのパターンが退屈になるかどうかは流れが同じであるということにあるのではなく、転換点をどのように表現するかということと転換点から転換点への相対的な関係にあるのではないかとこの本を読んで思いました。この考えが正しいかどうかはもう一度見ても面白いと思える作品をそういう視点で見直してみるしかなさそうです。
単発の作品について言えばプロットが細部よりも重要かというとそういうわけでもなく、重心をプロットより細部に置くことでも面白いことが起きると思います。日本のアニメの少なくない割合で細部にこだわったものがあります。そういう作品の中には部分をまるごと再利用されて動画投稿サイトにMADなどの形として表れてきます。MADだけでなくnum1000やスキージャンプペアなどのプロットに向かっていない作品も私は大好きです。
それでも良いプロットは人々を作品に引き込む力を与えます。引き込まれる人が多ければそれだけ細部へのこだわりに気がつく人が多くなります。長い間愛される作品にはきっとそんな仕掛けがあるのだと思います。プロフェッショナルな人にはもっと王道の中を自由自在に駆け巡っていてほしいものです。
- [2008/03/09 15:05]
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ドアラのひみつ かくさしゃかいにまけないよ
ドアラ

中日ドラゴンズのマスコット、ドアラの本です。ドアラ著となってます(笑)。
どう転んでもドアラファンのための本ですね。いきなり買っちゃだめです。YouTubeでもニコニコ動画でドアラの新着動画を見つけたらつい見てしまうくらいになってから買いましょう。私は昔、ナムコの鉄拳にはまっていました。鉄拳と書かれた海苔に反応してしまうほどはまっていました(汗)。この本はそれくらいドアラにはまっている人のための本なのだと思います。
ドアラをご存じない方はとりあえずこのあたりを見てください。思わず反応してしまったら動画投稿サイトでいろいろ見てください。お勧めはやはりニコニコ動画ですね。
初版7000部の予定が70000部に増刷されたそうです。私が見たときはamazonのランキングで3位でした。瞬間風速かもしれませんが立派なもんですね(笑)。
71ページの「もう無理です」が最高でした。はい。
- [2008/02/23 18:00]
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打たれ強くなるための読書術
東郷 雄二

自分の中にアウトプット可能な思考を作ることが自分の内側にのみにだけ価値があるのではないと思える人に読書というものへのアプローチが書かれている本です。
通常、アウトプット可能な思考は自分の中にある漠然とした状態の後に作られます。著者の言う打たれ弱いというのはこの漠然とした状態からアウトプット可能な思考へとたどり着けないことだと私は解釈しました。アウトプット可能というのは出力される思考が受け入れられる根拠から情緒的な部分が可能な限り排除されたという意味です。
人の成長の段階において学校読書、若年読書、青春読書、成熟読書と読書の分類がされています。自我の肥大期に心に響く青春読書の後にくる成熟読書をどのように行うかというのがこの本の主題になります。
まず本の選び方、買い方から始まります。といってもここで買えとか、この本を買えという内容が中心にはなっていません。実行可能な選び方や買い方が特色が紹介されていて選択はあくまで自分でという形になっています。私の場合はインターネットと書店巡りがほとんどですが人によってスタイルがあるのは自然だと思います。それでも新聞の下部に載っている本の広告の見方などは興味深く読ませてもらいました。また、「これから出る本」という冊子を次に本を買うときにもらってこようと思いました。自分のスタイルのすぐ横にある方法は試してみて損はないでしょう。
後半は読み方、そして読んで得た情報の取り扱い方が書かれています。私が特に大切だなと思ったのは文章を「事実」「推論」「結論または主張」に切り分けて読むという点でした。言われてみれば当たり前のことですが、内容を理解しようと読みながら同時にそれが事実なのか推論なのかという意識をするということは結構難しいことです。しかし文章の内容を受け入れることに抵抗感があり、その抵抗感はどこから来ているのかを考える場合にこの切り分けは有用なツールだと思います。その事実として語られていることが信頼できないのか、その推論が成立する前提条件が妥当ではないのか、結論が推論から飛びすぎていて説得力がないのかなど汎用的なチェックポイントの指標になりうると思います。またこの切り分けの推論を選択肢、結論を判断に入れ替えると事実をもとに選択肢の妥当性を吟味し判断するという仕事を行う上での意思決定プロセスにもなります。
斉藤孝氏などの本を読んで本を読むことにはこんなにおいしいことがあるよということが実感できた後、さらにそのおいしさを際立たせるにはと考えている方にとって一読の価値がある本かもしれません。
- [2008/02/18 00:59]
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組込みソフトウェア開発のためのリバースモデリング
SESSAME WG2

ソフトウェア開発手法の本ではその本が提唱する方法を説明し、簡単な例を用いてうまくいく状況を想像しやすくしています。しかし提示されている例には開発メンバー構成やスキルのばらつきなどが考慮されておらず共通の価値観や一定以上のスキルを持っていることが暗黙の前提条件となっていて実際になかなかうまくいかないことが多くあります。
この本でのは最初に悪い例が提示されています。そこでなるほどと思ったのは悪い例というのは良い例よりも共感しやすいということです。考えてみれば悪い箇所がどこかにあってそれを修正したいからこの手の本を読むわけですし、ある程度キャリアを積めば必ず過去にうまくいかなかった経験をしているはずです。実務に対する方法論の説明としては合理的だと思います。
この本はどうやってよい構造を持つソフトウェアを作るかという本ではなく、すでにあるソフトウェアをどうやってよい構造にしていくかというアプローチです。任意のタイミングで発生する変更要求や不具合に対して完璧な答えを提供する開発手法はありません。しかし一度作られたプログラムをスタート地点とすればその効果はぐっと現実的になります。
この本の中で使用されているツールや概念は独自のものではありません。DFD、構造図、ファンイン・ファンアウト、結合度、凝集度などWEB上で検索すればすぐに見つかるようなものばかりです。これらは通常、こうあるべきですという形で説明されます。しかしこの本ではこれらのツールを組み合わせることで今のプログラム構造とあるべきプログラム構造との差分を提示します。差分が埋められた分だけありべきプログラム構造に近づくという形式になっています。
作った後に行われるリバースモデリングですがプロジェクトに毎回今あるプログラムの構造を修正するという業務機会が発生するとは限りません。ですが所謂「ふりかえり」的にリバースモデリングを行うことには意味があると思います。あらかじめ修正される箇所が予想できれば新規プロジェクトにおいてもその分だけよいプログラム構造が構築できるはずです。目指すべきは完璧ではなくより良いものです。
- [2008/02/11 19:38]
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議論のルールブック
岩田 宗之

議論というものはもっとしっかりしたものを望ものですが、どうしても漠然としてしまいがちです。そこをクリアにする手がかりとしてとても良い本です。
第1章はよく(特にネットで)見かける議論がおかしくなってしまうケースについて書かれています。感情論、インチキ理論、冷笑者、匿名をキーワードにしてそれぞれのケースをいくつかのパターンとしてとらえています。この章を読むときに大切なのは方法論ではなく著者の分析によって提示されたパターンを理解することです。パターンに陥らない方法やパターンから抜け出す方法ではありません。おそらくそんな銀の弾丸はないでしょう。
第2章は「そもそも議論とは何か」とあります。この章が一番興味深く読ませてもらいました。議論、客観、一般などあたりまえに使われる言葉を整合性が取れるように定義してみようという試みです。もちろんこの本での定義が一般に通用するかどうかは保障の限りではありません。議論、討論、対話などは私が考えていた定義とは違っているものでした。しかし定義の違い自体はあまり重要ではありません。そう定義することで何か有用なものが導き出されるかが重要なのだと思います。どういう意味でその言葉を使っているのかの表明することをためらうのは議論にとってマイナスです。
第3章は発言という行為についての分析です。発言の自由、発言の責任、謝罪、発言の削除などについて書かれています。発言の周辺に存在するメカニズムといってもよいでしょう。そのこと自体はおそらくもっと考える余地があると思います。しかしそこにメカニズムが存在するということを忘れてはならないはずです。
この本のすばらしいところは何よりも具体例がとても丁寧なところです。人に自分の考えを伝えるときに具体例を用いることはとても有効なことです。しかし抽象的な問題になればなるほどよい具体例を見つけるのは本当に大変です。この本は方法論を提示しているのではありません。この本で主張されていることに対してアンチテーゼを考えることもできますし、テーゼをもとに方法論を考えることもできます。改めて考えるきっかけとしてとてもよい材料を提示してくれている本です。
- [2008/01/26 20:58]
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拾った言葉 2008/01/13
モーニング2008・01・24号のチェザーレから。
そもそも冒険とは達成を前提としそのために万全の策を練ったものであって、その対策を意識しないというのはそれはもう冒険でなく無謀というものですよ
アンジェロからチェザーレへの言葉です。君主にとって大事な考え方というよりは君主に誠実な人間がどのように考えるのかということを表しているように取れました。軍師や参謀、ソフトウェアアーキテクト向けの言葉かもしれません。
爆笑問題のニッポンの教養 新年会スペシャルから。
納得したものを人は受け入れる。効率を一ヶ月で考えるか、一年で考えるか、百年で考えるか。どこまでイマンジネーションを時間の軸に広げられるか。
「生物と無生物のあいだ」の著者、福岡伸一氏の言葉です。自分のやっていることに迷いが生じたときにニヒリズムや他人から与えられたイデオロギーやすでに存在する価値観にその理由を求めるだけでなく、違う時間軸との因果関係にも自分が納得できる理由が存在しうる気がします。
- [2008/01/13 11:31]
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ワインバーグの文章読本
Gerald M. Weinberg ジェラルド・M・ワインバーグ G.M.ワインバーグ

「プログラミングの心理学」や「ライト、ついてますか」などで有名なワインバーグ氏が自分の執筆方法について書かれた本です。ただ私は文章を書く方法というよりも執筆活動を続けるための定石集として読むのが良いように思えました。
しかし、これらの読書の構造は、言葉を形にあらわすう創作プロセスの構造とはほとんど無関係である。これらの読書の構造は、創作の手法ではなくプレゼンテーションの手法である。
小説には小説の表現方法があり、実用本には実用本の表現方法があります。しかしそれらはその文章をどう表現するかというものであり、文章を書くためにはどのようなプロセスが有効かということではありません。プロセスという形で一般化することは一つの文章を書くために行うことではなく、繰り返し使うことを意味しています。
ページの大半を材料としての石の収集から構成へとに費やされています。特に石の収集についてはその目的は文章を書くために集めるのですが、書こうとしている文章のために集めるのではないという点が印象的でした。
石の収集、選択、構成を別のプロセスとして認識することでそれぞれのプロセスに適した手法を用いること、まさにプロジェクトを進行させるときと同じ考えを執筆活動に適用させているあたりはさすがです。細かな点においてもアウトラインプロセッサやマインドマップなどのツールを唯一無二のツールとして捉えていない点も好印象でした。
ワインバーグ氏の著書の内容について肯定する人も否定する人もいるかと思います。ですが、ワインバーグ氏が長い間にわたって執筆活動を続けてこられたという事実は変わりません。そして続けるために行ってきたことの中にはワインバーグ氏にとってのみ有効だったものだけではないと私は確信しています。
- [2007/12/25 00:40]
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ガンダムUC ユニコーンの日
福井 晴敏

機動戦士ガンダムUC 2 ユニコーンの日(下) (角川コミックス・エース 189-2)
福井 晴敏

Twelve YO、亡国のイージスをとても面白く読んでしまい、ガンダムの洗礼をかつて受けた人間としては買わざるを得ない本でした。(笑)
TwelveYOや亡国のイージスを読んだ感想から、福井晴敏という作家は緊迫したシーンと緊迫からの解放後の表現が私の好みに合っていたんだと思っています。カタルシスの表現がうまいということはそれだけでも娯楽性の評価を上げてよいのかもしれません。その意味で上巻はとても辛く感じました。今回の作品の構成からすれば仕方が無いのかもしれません。その中でも
若者の血気は認めよう。直感を信じるのもいい。しかし知識と実力がついてこないのでは、対処を間違える。帰りなさい。この件には関わらないことだ。
のような台詞は好きです。うまくいってもいかなくても自分が正しいと思っていることを実行することで学べることが一般的にはあることを認めつつ、今回の件においては間違えば修復不可能であることを伝えています。下巻においても
ニュータイプという言葉は撃墜王と同義になって、今では戦記物の映画や小説でしか語られない。
というくだりがあります。私たちの実際の社会においてもキーワードの本来の意味を理解し共有しようとせず、共有しやすい意味においてのみ使用されるようなケースが多く見られます。またガンダムシリーズにおいても製作側に対してニュータイプへの解釈を避けてきたことに対する皮肉ととらえる事もできなくはありません。福井晴敏氏がどのようなつもりなのかは続きを読ませてもらうしかありませんが。
下巻の最後に仮面の男の挿絵が入っています。よくよく考えてみれば軍隊において常時仮面をつけているようなことはセキュリティ面から見て現実的にありえる話ではないと思います。フィクションであるが故に許される設定であることは承知していますが、仮面をつけていてもその人であることを周りが確信せざるを得ないほどの存在感を持つキャラとして描いて欲しいと思います。
- [2007/12/09 23:50]
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