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「関係の空気」「場の空気」 

「関係の空気」 「場の空気」
冷泉 彰彦
4061498444

 

 こういう着目点をなんとか言葉にしようとする試みは結構好きです。ただ、私には作者の言葉が少しシンクロしなかったので勝手に変えて解釈してみました。

 

日本人の会話は価値観や認識を共有していることを前提にして、その共有しているものをあえて口に出さずに会話を成立させる性質があります。また、会話が始まるときに共有するものを探そうという傾向があります。この共有するものを探そうという意識が働いていることを「関係の空気をまとっている」とします。

 

関係の空気をまとっているもの同士がうまく共有するものを見つけることができた状態で会話が成立している場合が「コミュニケーションがとれている」状態です。片方だけが共有できていると思って会話を進めている状態は相手から見ると「空気が読めていない」状態です。共有できていないことを認識しながらそれを探すための言葉が見つからない状態が「窒息」です。絶句や言葉を失う、見つからないといった状態ですね。そして3人以上で起きる現象として自分以外の相手側ですでに共有するものが成立している状態が「場の空気が存在している」とします。場の空気が存在している場合にも窒息は起こりえることになります。この本にはこの窒息状態の事例がいくつか上げられています。

 

私は窒息状態を軽減させるためには共有するものの核となる言葉の取捨選択が必要だと思います。歌に芝居にコメディにと幅広く活躍している木村拓也という人物をキムタクと称することによって抽象度が上がります。抽象度が上がるということは汎用性が上がることになりますから共有へのアプローチとして有用であり、ほとんど害もないと思います。しかし構造自体が持つ問題を構造を変えることで対応しようというものが構造改革であったにも関わらず、単に変えることのシンボルとして汎用性を上げ、その結果、パーツの入れ替えすらも構造改革と呼ばれるようになりました。メタボリックシンドロームをメタボと呼ぶことで比較的まじめな空間からある程度お気楽な空間へ適用可能なようにニュアンスが変わりました。お気楽な空間に適用可能になることによって例えば、

 

  • あの人、メタボだから~なんだよね。
  • あの人、メタボリックシンドロームだから~なんだよね。

の~には、メタボと表現された方が人間関係において危険な言葉が入ってくる可能性が高いと思います。共有されるもののアプローチに使われる言葉を意識的に使うよう心がけることで不要な場の空気の暴走は減るのではないでしょうか。

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「関係の空気」  「場の空気」(書評・感想)

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)を読む。ただ、本書を読んでも空気が読めない人はいつまでも読めないし、読む必要もないかも知れない。・・・それでもスゴ本である。
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