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この時期になると 

8月15日が近づいてくればどうしても戦争や靖国神社の話題が出てきます。あちこちで政治家を含めた方々が様々な議論を行っています。 議論を聞いていて個人的にひっかかる言葉があります。国益という言葉です。 短期的な国益と長期的な国益がごっちゃに使われて議論がまとまりのないものになってしまっていることも見受けられます。 またちゃんと区別して議論を行っていることもありますが、 そもそも短期的な国益と長期的な国益とどちらを優先すべきことなのかという議論に客観的な答えがあるとは思えません。 決める必要があるならば現在の仕組みならば選挙を行うしかないでしょう。 TVで放送されているような討論番組などはいろんな考え方があることを伝えることが目的であり、 結論を出すために行っているわけではありません。

 

様々な意見をマスコミが伝え、 それを元に世論が形成されて国家が世論を考慮しながら国として行うべきことを決めていくという流れ自体は間違っているとは思いません。 ただこれが国内問題であれば世論が間違っていても、 間違った世論を政治家がそのまま受け取ってしまってもその責任は国民にあるわけですからそれは受け入れざるを得ないでしょう。

 

ところが外交が絡んでくる場合、お互いの国で別々の世論が形成されることがあります。 そしてその世論を元に政治家が動くとなれば政治家である以上、国益を無視することは出来ません。 2国の国益が相反するものであればその時点で双方が納得する解決策を得ることは非常に困難になります。 これが現在の靖国問題だと考えています。

 

このような場合には政治とは別のインターフェースが必要なのではないでしょうか。 政治と別のインターフェースとは靖国問題であれば歴史の「学術的な」共通認識の形成が考えられると思います。学術的であれば日本と中国、 韓国だけでなくその他の国も含めて議論することが可能でしょう。政治としてはこの学術的なインターフェースの形成を公式に認め、 進行を補佐することは可能だと思います。そしてこのインターフェースの形成に必要な最低限の時間の間は、 例えば3年なら3年は首相の公式参拝は行わず、 中国も外交政策の理由として靖国問題を取り上げないというような取り決めも可能ではないでしょうか。 3年ですべてにおいて共通認識ができるとは思えませんが、 3年間でつくられた分の共通認識を持って再び政策に反映させることは可能だと思います。


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