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コンシェルジュ 

コンシェルジュ (1) BUNCH COMICS
いしぜき ひでゆき 藤栄 道彦
4107711595


コミックバンチで連載されている比較的やわらかムードのマンガですが、今週は結構きつめの内容でした。

なにせ、無農薬野菜や有機栽培野菜なんて食べていたら健康を害しますよ、というのだからかなり挑発的です。もちろんやわらかムードなので言葉にするほど完全否定ではありませんが、ともすると美味しんぼに喧嘩を売っているともいえなくもない表現もあり、明らかにいつもと違う調子でした。

食にたずさわっている人々の生き様には興味をひかれるけど、食自体にはあまり興味がないというバランスの悪い私に出る幕はなさそうですが、無農薬野菜、有機栽培擁護派の人々の冷静な反論を聞いてみたくなりました。食に関しては勧善懲悪パターンが多く見られるだけにそうでない議論を聞いてみたいです。

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ソフトウェアエンジニアリング論文集80's 

ソフトウェアエンジニアリング論文集80's~デマルコ・セレクション
トム・デマルコ ティモシー・リスター 児玉 公信
4798110612

いくつかのものが混沌から大きな物語を経て小さな物語へ移っていくのだとすれば、 振り返って最もエキサイティングに感じるのはやはり大きな物語の時代でしょう。 ソフトウェアエンジニアリングにおいてアジャイルの出現は小さな物語の時代への移行が始まったような気がします。 その意味でソフトエンジニアリングの80年代はロックシーンで言えば60年代や70年代にあたるのかもしれません。

 

この本はTom Demarco、Timothy Listerの両氏が選んだ80年代の重要論文集「SOFTWARE STATE-OF-THE-ART」にある31の論文の中から監訳者である児玉公信氏が現在の観点から12の論文を選んだものです。

 

私が一番興味を惹かれたのは「ボックス構造化情報システム」でした。順次(begin-end)、選択(if-then-else)、 反復(while-do)とそのネストによりすべてのソフトウェアは記述可能であるというDijkstraの構造化プログラミングの考え方は現在でも多くのプログラミング言語で採用されています。 「ボックス構造化情報システム」 は構造化プログラミングですべてのプログラムが記述可能であるならばそれによって作られるシステムはどのように構造化すべきかという方法論になります。

 

詳細は書籍を読んでいただくとして思いっきり簡単にまとめるとすべてのシステムとそのサブシステムはブラックボックス、状態マシン、 クリアボックスという3つの視点とそのネストによって記述できるということです。 この視点によって構造化するにはオブジェクト指向などでも重要な概念である抽象化の考え方が重要になります。 ちなみにこれは1987年の論文ですが、1983年にC++、1986年にRuby、 1990年にJavaが開発されたといわれています(間違っていたらすいません)。

 

この論文では4つの基本的原則の体系的適用を与えるというとてもわかりにく表現で「参照透過性」、「トランザクションクロージャ」、 「状態移転」、「共通サービス」という4つの言葉を使っています。またまた大雑把で申し訳ないのですが私はこれらを「クラス図」、 「アクティビティ図」、「ステートチャート図」、「再利用性」と解釈しています。

 

その他、システム開発スパイラルにも言及されていて現在主流の開発プロセスのためのツールの基本的な考え方がまとめられています。 この方法論が完全無欠と証明されているわけではありませんが非常に大きな影響を与えてるのが現実です。

 

目からウロコの宗教 

目からウロコの宗教―人はなぜ「神」を求めるのか
岩井 洋
4569625800

目からウロコが落ちるという言葉は新約聖書から来ているそうです。まったく知りませんでした。 この本は世界には様々な宗教がありますがそれらを俯瞰して宗教というものに共通していると思われる事柄を宗教社会学という立場から紹介している本です。 特別に専門的な知識がなくても理解できるよう「知のポータル」として書かれています。 ソフトウェア開発的な表現だとスーパークラス作成のための分析といったところでしょうか。 さらに言えばアジャイルでもオープンソースでもよいのですが自分がこれは正しいんじゃないだろうかと思っていることを人々へ広める際のヒントがあるように思えます。

最初に宗教の定義から始まっています。定義から始まっているあたりが私のような人間にはとっつきやすくて助かります。 その定義は

本来自明でない超自然的存在に関する事柄を、自明なものに変換し、 人々をそのようにふるまわせる社会的装置である。

となっています。つまり人々のふるまいの出発点のうち自明でない部分が共通化されたものということでしょうか。 逆の見方をすると自分ひとりのオリジナルの神様を信じているのはこの本では宗教としてはみなさないということになります。 まあ社会という観点を持ち込む以上それはしかたがないですね。

 

宗教と呪術との違い
社会学者エミュール・デュルケールの考えを紹介しています。 宗教は信者同士を結びつける教団を持つが呪術はあくまで呪術師と信者の一対一の関係であるとのことです。 確かにそう捉えると呪術は面積的に不利でありそのことはそのままマイノリティとしてのリスクを負うこととなると考えることができます。

 

宗教は進歩ではなく進化する
進歩はより機能的に進むこと、進化はより環境に適応することと捉えた場合、生き残るのは進化したほうである。これも考えさせられます。

 

他にも、カリスマの存在や体系がしっかりしていることの強さなども書かれており、 自分が置かれている状況が俯瞰できる地点を探る際にいろいろ照らし合わせることができるのではないでしょうか。

 


テレビ局の動画配信 

フジテレビが動画配信サイトのワッチミーを始めるというニュースを聞いたときに自分でもよくわからない違和感を感じたのですが、 どうやらオリジナルの映像コンテンツをたくさん持っているフジテレビが動画の投稿を求めているというあたりに違和感を感じているんじゃないかと考え始めました。 別に批判的な感覚はないし、TV番組と連動させれば数もそれなりに集まってきて面白くなる可能性もあるかと思います。

 

ただ、それって別にテレビ局じゃなくてもいいんじゃないのというのが私のひっかかりなのです。 テレビ局が動画を配信するならテレビ局じゃないと配信できないものの方がおもしろいんじゃないかと。

 

テレビ局じゃなければ配信できないものといえばやはり自局の番組でしょう。 放送終了後にDVDなんかで儲けようとしているドラマやアニメなんかは無理でしょうけどおそらくDVD化などされないであろう報道系の番組やワイドショーなんかは配信したらどうでしょうか。 せっかくの報道系なのですから番組内で短く編集されてしまった取材ビデオやインタビューはしたものの時間の都合などで放送できなかったいまいち有名でない国会議員さんの映像とかもいっしょに配信してほしいですね。 ちょっとはロングテールっぽくなるかと。そんなサイトを作る費用など出せないというならばそれこそYouTubeやStage6と提携してもよいのではないでしょうか。 Stage6とか喜んで受けそうな気もしますしね。

 

単純に番組が一本まるごと配信されるだけじゃなくて何分から何分までみたいな指定をURLで指定できてblogなどにその時間分だけ再生できるような仕掛けがあるとYouTubeなんかと差別化できてよさげです。 わざわざYouTubeに投稿する人の手間がはぶけます(笑)。 ニュース系の番組などはもともと多くのコーナーがあるわけですし朝まで生テレビなんてまるごとblogに貼り付けるのはある意味いやがらせになりそうですし。 おそらく多くがネタとして扱われるでしょうがまじめに論評などしているblogが引用した場合、 文字だけの場合に比べて説得力が増えるかと思います。 テレビ局側としても引用されることそれ自体が番組の宣伝になるわけですから悪い話でもないように思えます。

 

取材映像などを配信する場合はそれなりに編集されたものが配信されることになると思いますが不自然な編集がされていればそれ自体が論議されることになるでしょう。 複数の局が同じ現場の映像の配信を行えばどこを落とすかの比較も議論の対象としてはおもしろいかもしれません。

 

テレビ朝日あたりが、やじうまプラスとかで実験的にやってくれないですかね。

 

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