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10-24 朝まで生テレビ雑感 

今回の朝まで生テレビを見ていて、思っているよりも引いた位置から議論を聞いている自分に気がついて自分も歳をとったなと実感しました(笑)

 

さて、引いた位置から見ていた者の感想です。議論の中で継続性を考えれば仕組みに重心をおくことも必要であるとの流れができそうな場面がありました。朝生のおもしろさとは別の意味でおもしろくなるかなと期待していたのですが、新たな仕組みを考えるのはやはり日本人は苦手なんでしょうかね。仕組みを仕上げるのは得意そうなんですが。

 

例えば森永氏が「企業は極力、社員のクビを切らないようにして企業自体が新しい分野へ移行しやすくすべきだ」という意見を言われていました。仕組みに重心をおくのであればこれをスタート地点とした場合にどんな仕組みになるかを考えるべきでしょう。その場合スタート地点が良いか悪いかは関係ありません。

 

また、森永氏とは別の視点で全員が現在の非正規社員のようになって流動性を高めるべきであるとの意見もありました。ならばここをスタート地点としてどんな仕組みになるかを考えるべきでしょう。そしてとりあえず2つの仕組みの概要が見えてきた時点で、仕組みからアウトプットされるものや、現在からの移行プロセスなどの比較を批評的に行うべきだと私は思っています。

 

特定の前提条件(スタート地点)から仕組みをどうすべきかを議論するということは、これはベクトルとして工学側へのアプローチを求める場であるということです。そうであるにも関わらず、前提条件自身がどういうものであるかという視点からの批判は理学的なアプローチですので、議論が建設的になりにくくて当然です。

 

今回の朝生を見ていて思ったのは、日本で行われる公開討論のレベルを上げるためには結論へ向かっていることを感じさせるようにファシリテータが意識する必要があるのではないかということです。その上でTV番組としてのエンターテインメント性を求めるべきでしょう。エンターテインメント性がなくなってきたから次の話題へ、という流れはそろそろきついかもしれません。

 

それにしても堀さんが楽しそうだったのが印象的でした。(笑)


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紙の大きさと書く内容 

手帳術やノート術などの本がたくさん出版されています。私も何冊か読ませていただきました。様々な工夫が紹介されていていろいろ参考にさせてもらっています。どんな工夫が私にとって有効なのかを考える際に、紙の大きさと書く内容について考えてみました。

 

パターン1。今自分が持っているもの、知っていることを基に何らかの関係、構成、体系などを見つけ出そうとしているときに書くという作業を行います。この場合、一発で見つけ出せることなどほとんどありません。そこには必ず試行錯誤が行われます。当然無駄な記述も入ってきます。そのためには広さが必要です。そこで得られた関係などはアウトプットされることが意識されています。

 

パターン2.批判的な見方を横に置いておいて、すでに提示されているものを理解することを目的として書く場合があります。いわゆる学習です。ここで提示されているというものはすでに構築されているわけですからそのための試行錯誤は不要です。その分、要求される広さは少なくなります。

 

パターン3。何かにフォーカスして書く場合があります。何にフォーカスしていたかは覚えていてもその内容すべてを覚えていつづけることは難しいことがあります。例えば会議メモや講演メモなどです。仕入れておくべきだと判断された情報などが書かれます。小学校あたりの学習もこの範疇に入ってくると思います。この場合はある程度狭くても問題ありません。

 

パターン4.とにかく忘れたくないために書くといことがあります。手帳などに短く書くメモです。

 

これらのことについて自分の生活において日常的に発生するケースを振り返ってみると、私の場合はパターン3、4が多く発生しています。最近はパターン1も徐々に増えてきました。パターン1ではA4を、パターン3ではA5を、パターン4ではA7の紙を使っています。

 

ちなみにデジタルデータのドキュメントについてはアウトプット用と割り切るようになりました。試行錯誤するには自由度が足らないと感じ、常時携帯しメモするには制約が多く、仕入れるべき情報にラフで十分な図が入り込んでくるとやはり紙の方が楽だと感じています。内容をそのまま何度も流用したり、網羅的に検索することが頻繁になってくれば、そのときはPCへの依存度が上がってくるかもしれません。

PDCAサイクルとWARE Linkの性質比較 

前回はPDCAサイクルとWARE Linkの内側からの違いについて書きました。今回は外側から見てどのような違いがあるかを考えてみます。

 

PDCAサイクルは時間に対しての依存性が高く、WARE Linkは低くなっています。これはどちらが良い悪いではなくそういう性質ということです。これによって向いているケースが分かれてきます。そこで、どちらもアウトプットされる対象物があるわけですから、そこに注目してみます。

 

例えば研究の成果の精度を上げる場合や売り場の改善などを行うような場合、対象となるのは研究や売り場となります。これらは時間の経過という観点から見ると対象は切断されること無くつながっています。これは対象が特定されているということになります。つまり、対象自身がどうあるべきかに焦点が当てられています。

 

一方、メーカーが製造する製品やニュースや書籍などもさらに良いものをと多くの人々が努力を続けています。しかしその対象となるもの自体は時間の経過において切断されています。これは対象が一般化されているということになります。この場合、対象を扱う人がどうすべきかに焦点が当てられています。

 

もちろん、焼き物職人のように次に作るものをよいものにするために窯を改善することもありますし、店員が売り場を改善するために一般化された知識を持つコンサルタントから方法を学ぶこともあります。単純なカテゴリ分類知識だけで常にうまくいくわけではありません。対象の理解を深める、つまり対象をとらえる視点の数を増やし、方法論が(多くの場合暗黙的に)持っている前提条件や性質と照らし合わせて考えることでより効果が高まるのだと思います。

PDCAサイクルの別視点 

最近、PDCAサイクルを別視点から見てみようとしています。PDCAとはPlan,Do,Check,Actと4つの動詞でできています。つまり行動のあり方を提供してくれているわけです。行動するということは必然的に時間に対しての依存性が高くなります。

 

実際のプロジェクトが開始されるタイミングはActが終わったことを条件として開始されるのではなく、周囲の状況によって開始されます。Actが終わる前に開始されることもありますし、Actが終わってからしばらくたって開始されることもあります。

 

PDCAサイクルにおいてAct後、できるだけ早くPlanに移ることができるほうが理想的です。しかし現実はそういうわけにも行きませんからそこにPDCAサイクルをうまくまわすためのノウハウが必要になります。つまり業務改善のノウハウであるPDCAサイクルをうまく行うためのノウハウが必要になるということです。

 

そこで以下のような関係を考えてみました。

 

WARE Link

 

とりあえず名前付けということでWARE Linkとしています。PDCAサイクルが動詞ベースで構成されていたのに対して、Strage可能なものをベースにしてあります。サイクルよりも時間への依存性が低いのでLinkとしてみました。Ways,Actions,Resultsは外部Streage化可能です。これでより断続的になります。

 

行うこととその成果を分離してあるので、効率よく行うためのノウハウと成果の形を望ましいものにするためのノウハウを分けて考えることができます。両方を同時にこなさなければならない場合に比べて習得すべきノウハウがシンプルになります。

 

また、WaysとExperiencesを分けることで組織に潜在している実力の局所化の軽減を人の移動だけに頼らないようにしています。

 

個人、チーム、組織では時間の流れが違います。時間への依存性を少なくすることで違うレイヤーへの展開がスムーズに行くのではないかと考えています。


地方分権だと三権の関係は何か変わるのでしょうか? 

選挙が近くなって政治関連の報道の時間、数が増えてきています。中央集権的な官僚主導型から変わっていくための重要なファクターとして地方分権もよく取り上げられています。それらの報道を見ていてよくわからないことがあります。

 

最も時間が割かれているのは地方分権時の行政についてです。それぞれなるほどと思えることも多くあります。行政が担う役割や規模が変わればそれを監視する立法に携わる人の意識もいずれ変わるであろうことはなんとなくですがわかります。

 

さて司法ですがこれが全くわかりません。中央集権的な国家機関としてのヒエラルキーだと私は考えていたのですが、地方分権となると別の理解が必要になります。ここのイメージが沸きません。

 

地方分権時の司法の論理的な構造がどうあるべきかのイメージも沸かないので、そこから想定されるメリットもデメリットもわかりません。例えば今よりも行政機関を訴えることが簡単にできるようになるのでしょうか、それとも難しくなるのでしょうか。行政による失敗と被害の区別は現在よりもわかりやすくなるのでしょうか。

 

道州制になれば州法が制定されるでしょう。州法違反かどうかを判定するのは司法です。州法違反かどうかを最高裁裁判所で行うのはなんとなく違和感があります。マスコミでの露出度の高い首長さん方は行政の長なので行政中心になるのは仕方がないのでしょうが、地方分権時における行政、立法、司法の横の関係と縦(国との)関係をどなたかわかりやすく説明してもらえないでしょうかね。

定義について 

私は「~とは何か」といった純粋な哲学的探求にはあまり興味を持っていません。しかし「~とは何か」を理解することで具体的な価値を生み出せる可能性があるとは信じています。

 

私が定義を意識する場合の多くは、何かと何かを区別する必要がある場合です。区別するということは何らかの視点を持つということになります。その意味においてアランの定義集はいくつかおもしろい視点を提供してくれています。

 

文明
他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする、ほとんど考えられないものにする法、慣例、意見、判断の総体。…

定義はおろかその意味すら明確に答えられる人が少ないであろう文明という言葉です。上記のように定義して文明を語ろうした場合、総体すべてを拾い上げることは不可能ですが、内容の骨格となる部分が他の文明と比較可能なものとすることで説得力を上げることができます。これは多くの人が漠然と認識している意味からあまりはずれることなく、別の表現を行っています。

 

また、ある状態を表す言葉などの場合、さらに状態を分解しそれぞれにラベルをつけることで定義を行う場合もあります。アランの定義とは少々違いますが、例えば「信じている状態」は

 

  • 個人の欲望、願望によって信じている状態
  • 特定の立場の人の発言、主張だから信じている状態
  • 古くからの習慣や伝統だから信じている状態
  • 仕組みはわからないが何度試しても同じ結果がでるから信じている状態

 

などに分けることができます。適切な組み合わせの分解に対してそれぞれの状態を定義することで物事に対処する方法が明確になることがあります。フレームワーク思考といわれるものですね。この場合は付けられたラベルが通常使用される意味とある程度かけ離れていてもそれほど抵抗はないでしょう。

 

新たな視点との出会いは「気づき」という知的な快楽を与えてくれます。視点により区別するということは例外というノイズを取り除きます。ノイズが取り除かれることで思考をシンプルにすることができます。定義の組み合わせによって厳密に構成された体系は予想外の取りこぼしを防ぎます。もちろん正しく定義されていればですが。正しさの程度、つまり定義の価値はもたらす影響の大きさで決まるのでしょう。アランの定義によれば価値とは集めるに値するものとのことだそうです。


アラン定義集 (岩波文庫)
神谷 幹夫
400336564X

教育のメソッドはどんどん紹介して欲しい 

教育問題を考える場合にフィンランドの例を取り上げているのをよく見かけます。フィンランドでは先生が高学歴であるとか社会から尊敬されているとか授業料が無料であるとかといったことが伝えられています。そこにはフィンランドを知るという目的の後ろには日本の教育をどうすべきかという考えがあって取り上げているのはほぼ間違いありません。


そのような視点は社会からの尊敬はもちろん、高学歴、授業料といった視点は教育と社会との関係をとらえようとしているものです。この視点から教育を考えるということは教育の現場よりもむしろ社会からのアプローチを考えるということです。


もう一つのフィンランドの教育への視点として取り上げられているのがフィンランドメソッドといわれているものです。これはフィンランドの教育の現場で取り入れられている手法についてということもあり、社会からのアプローチよりもより現場に向いた直接的なものになります。


フィンランドメソッド入門ではカルタやグループ作文などのメソッドが紹介されていますが、重要だと考えられているのはこの本の表紙にも書かれている発想力、論理力、表現力、批判的思考力、コミュニケーション力であり、それぞれの力はどうあるべきかを教える側が理解し、その理解に基づいて有効な方法を用いているということのなのだと思います。


今まであまり行われていなかったことを新たに「追加」すれば今まで行われてきた漢字の読み書きや計算といった技能に使える時間が減ります。これらは「つめこみ」というややネガティブなイメージを持った言葉で表されることがありますが、こちらもとても重要です。時間が足らないのであればより効率の良い方法を用いるべきです。例えば百ます計算などは計算に集中する、いわゆるゾーンへのいざないが計算ドリルなどよりも効果的なのでしょう。義務教育レベルで必要な技能の習得を短く出来るのであればその分の時間を先ほどの5つの力の向上にまわすことが出来ます。


とっかかりとしての方法は真似でもかまわないと思います。生徒数や設備などの違いにより効果にばらつきもでると思います。明確な目的のもと、もっと今の現場に合った方法はないものかと常に考える人が増えてきてどんどん紹介されるようになればきっといい方向へ向かうと思います。



図解 フィンランド・メソッド入門
北川 達夫

4766783476


ToDoとか、フレームワークとか、チェックポイントとか 

今年は仕事のこなし方についていろいろ考えた年でした。

 

最少の時間と労力で最大の成果を出す「仕組み」仕事術という本で私が共感したのは

  • 仕事には「作業系」と「考える系」がある
  • 仕組み化する際には記憶、才能、意思に頼らない

の2点でした。作業系を決められた手順や方法に従ってアウトプットすること、考える系を頭の中でロジックを組み立てることと定義すると、例えば企画を考えることと企画書を書くこと、設計を考えることと設計仕様書を書くことなどは別のモジュールと考えることが出来ます。しかし実際にはこれらは密接に関わっていて簡単には分離できません。なんらかのインターフェースが必要です。そのインターフェースとなりうるのが思考のフレームワークといわれるものです。

 

記憶、才能、意思に頼らないということはとりうるすべての方法の集合に条件をつけて選択範囲を限定するということです。実際には有用だと思われる方法が条件に合っているかチェックするという形になるでしょう。私はチェックをする際のチェックポイントが明確になっていることが重要だと考えています。特にチームで仕事をする場合には個人個人の価値観や感情ではなく機能や効能を保証する形でチェックポイントが設けられていることが大事だと思います。

 

フレームワークを有効活用するにも、例えばPDCAサイクルをまわす場合、漠然とサイクルが回っていればよいというわけではなくチェックが重要です。DOサイクルで行うべき内容がCHECK可能であるためにはどのようなチェックポイントをクリアしている必要があるのかなどもう一度考えてみるべきではないでしょうか。

 

仕事を作業系と考える系に分け、且つ記憶に頼らないというのは、これはほとんどToDoリストに直結します。直接的な依存関係を持たない業務を数多くこなす人ほどToDoリストの重要性を実感しているのではないでしょうか。今年は本当にToDoリストに助けられた一年でした。

 

 

最少の時間と労力で最大の成果を出す「仕組み」仕事術
泉 正人
4887596111
仕事が10倍速くなる最強の図解術
開米 瑞浩
4492042717

ノートの使い方を模索中(ノート選び) 

前回の続きでノート選びです。まずはログ用ノートです。ログ用とランダムメモ用の2冊ということでなにはともあれまずSYSTEMICです。2冊入り、ペンもさせて栞も2つあるとなれば誘惑に負けます。(笑) この時点でリングノートの選択肢が消えました。

 

さて、ログ用のーとですが、コーネル式に敬意を表して学研のThe Note Taking Systemを探していたところ、こんなノートを見つけました。

 

reserch_lab_2

 

コクヨのリサーチラボノート(ノ‐LB4S)というノートです。研究記録用ということで少々仰々しいのですがものめずらしさで買ってしまいました。税込価格787円とかなりお高いです。このノートは5mm方眼で縦線が入っており、且つページ番号が振られています。買ってしまったものはしかたがないのでしばらく使ってみます。(笑)

 

reserch_lab_1

 

次にランダムメモ用ノートですがこちらは悩みました。不要になったメモはビリビリと破りたかったのでページが切り取れるものを探して、候補を3つに絞りました。すべてコクヨの製品です。

 

 

まず、ドラフトペーパーはノートというより横開きのレポート用紙なので何度もページめくりをしているとページが切れてしまいそうだったので却下。カットオフノートとフィラーノートで悩んだのですが決め手になったのはページ数でした。カットオフノートは30枚、フィラーノートは40枚なのですが、上記のリサーチラボノートと組み合わせたときにフィラーノートだとSYSTEMICの許容できる厚さを超えてしまうためカットオフノートにしました。

 

会議のフレームワークパターンはマークの効率的な付け方などいくつか考えることは残っていますがとりあえずこれではじめてみたいと思います。

ノートの使い方を模索中 

現在、ノートの使い方を模索中です。私の場合、打ち合わせやプロジェクトのスケジュールにのらないような周辺の業務ログ、アドホックなレビュー時のホワイトボード代わり、ランダムに思いつくアイデアや懸念点などにノートを使っていますが、特に工夫もせずに使っているために後で見直す必要が出てきたときに少し使いづらいと思っていたのでちょっと考えてみました。

 

大きく分けるとログ(時系列)とランダムメモに分かれています。とりあえずこの2つは後で見直すときの使われ方が違うということでノート自体が持つ機能が別になるのではと考えました。

 

ログ用ノートは書いた内容の前後関係を確認することがあります。またある程度フォーマットのパターンがあると思われます。とりあえず言葉にして吐き出してみることにしました。

 

ノートの取り方については本当にたくさんの本が出版されています。仕事をする上で機会が多いのはやはり会議の議事録でしょう。ネット上でも議事録に関するノウハウが記述されたものが多くあります。有用な情報として大変参考にさせてもらっています。ただ、いくつかのノウハウには会議はこうあるべきというのが前提となっているものがあります。会議が常に理想的に進められるとは限らないので実際のノートの運用方法はある程度、幅を持たせる必要があります。これを前提に要求をまとめてみると

 

  1. 会議中の記述は話された順番に記述していきたい
  2. 後で見直す際にをすべて読み直さなくても良いようにしたい
      (アクションプランや問題点など)
  3. 会議の目的に合わせた俯瞰視点をフォローしたい\
  4. 所感も書ければ書きたい

こんな感じになると思います。1は会議で共有された問題点や事実、決定事項です。2はインデックスが欲しいということです。3と4は自分の頭の中のフォローとなっています。ノートを3つに分けるとなると有名なのがコーネル大学式ノート作成法です。これをいただきます。

 

log_note

 

  1の領域には共有された問題点や事実、決定事項を話された順番に書きます。2の領域にはそれがアクションプランなのか問題点なのかなどのマークを付けます。マークを付けるのは会議が終わった後でもいいと思います。3の領域には所感を書きます。また必要であれば会議の目的に合ったフレームワークを書いておき、会議に対する俯瞰視点のフォローとします。フレームワークパターンはランダムメモに書いておきます。

 

ノート選びに続きます。

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